私生活

プライベイトなタイムカプセル。

蛇にピアス

今更ながら映画『蛇にピアス』を見た。 色んな解釈ができる映画だと思うけど、私は解釈というような客観的な視点でこの映画を見ることはできなかった。 どちらかというと共感だった。 私は映画の登場人物のような世間の常識から逸脱したような生活を送ってい…

認知の歪み

人間いつだって自分自身のことを冷静に見つめるのは難しい。 大学初期に作ったTwitter裏アカウントの記録をふと読み返してみたら息が詰まった。 4年分の自分の悲しみが綴られていて、負のエネルギーで胸が押し潰されそうになった。 楽しいことや嬉しいことは…

新規営業の精神的負荷

私は新入社員で、管理部門系配属にも関わらず営業の研修を受けている。 とはいっても研修とは名ばかりで、実際の業務となんら変わらないことをやる毎日だ。 今行っている業務は、新規獲得の営業で、私は営業部門の新入社員に混じりながら、日々奔走している…

面白可笑しい!矛盾だらけの中国社会

GWの休暇を使って久しぶりに中国上海に行った。 現代の上海はとにかくすごい。 街に漂う高揚感、クレーン車だらけの新開発地区、高騰し続ける住宅価格、ブランドショップとファストファッションに埋め尽くされたモール…… 日本で報道される中国の暗い闇とは裏…

日常がドラマチックになる営業体験

大学を卒業して入社したばかりの私は研修真っ最中である。自分の職種は管理部門系で決定しているにも関わらず、最初の約3ヶ月は営業研修をすることになっている。営業なんて、コミュ力があまりない自分に向いていないし、なんだかつらそうなイメージもあり、…

「どうして価値に理由をつけて ポーズを執らされているのかな」

数年前に、なんとなく惹かれあった人がまさかの彼女持ちだったことがある。 好きな気持ちに嘘をつけずに一緒にいたら、私はいつの間にか浮気相手に成り下がっていたのだった。 彼は私に対してはすごく優しかった。 ただ、自分の財力を顕示するのも好きだった…

印象に残った日本酒 村祐「黒」

私は、味覚がお子ちゃまで、苦い味が嫌いで、アルコールは好きでも、ビールすら未だに飲めない。 しかし、そんな私が、新潟県人の友達のおかげで、数年前から日本酒にハマりだしたのだった。味覚がお子ちゃまな私は専ら甘口派。獺祭や十四代など、飲みやすく…

「ほったまるびより」 生々しい身体、連続する日常/非日常

先日、国立新美術館の文化庁メディア芸術祭に行ってきたので、そこで感じたことを忘れないようにここに記しておきたい。 ダンサーであり映像作家である監督がつくった「ほったまるびより」という短編映画を目当てに行ったのだが、その映像を目にして衝撃を感…

「ヘルタースケルター」身体をめぐる欲望と消費

自己満足ではあるが、今日は、自分の女性としての醜い部分を晒しつつ、女性をめぐる消費、及び欲望について書いていきたい。 女性性とは、いわゆる「女性らしさ」のことだ。 女性性を維持するには色んなコストがかかる。たとえば、美肌を維持するための基礎…

「キャラ」が重い

今年のセンター試験国語現代文の評論では、土井隆義さんの『キャラ化する/される子どもたち』の一部が出題された。このような馴染み深い先生がセンター国語に登場するなんてなかなかおもしろいなぁと思い、現代文評論に目を通してみた。 今回の評論は、現代…

規範意識と自傷願望

先日卒論の話を少ししたが、私が社会学をやっていて、トピックにしがちだったのは「規範意識」についてだった。それはおそらく自分の経験からくる興味だったのだと思う。 私は、自分がいわゆる社会規範から外れた人間だと、小学校の頃から思っていた。 自分…

「性」を語ることの難しさ

先日、やっと卒業論文を提出することができた。 1年という長いスパンの中で、卒論の完成に向けてあれこれと準備をしてきたので、なんだか感慨深い。 反省点は色々とあるけれども、今回一番自分を褒めてあげたいのは、一度も徹夜をしなかったことだ。今まで…

信仰と言葉の力

私は昔から迷信的なことが嫌いだ。 そんな根拠のないことに自分の行動や考えを縛られてたまるか、と小さい頃から思っていた。 もちろん宗教を信ずる意味も分からなかった。 そんなものに人生の選択を決められるなんて冗談じゃない、と思っていた。 しかし、…

生存権はお金で買う時代へ

5日前、軽井沢で起きたスキーバス転落事故が私に与えた衝撃は大きかった。 亡くなった方の中には、私の直接の友人はいなかったけれども、私の仲の良い友人はこの事故によって3人も友人を亡くした。同じ大学生、同じ学年、コミュニティも似通っており、共通の…

人生において「書く」ことの意味とは

「書く」ことは、とても孤独な作業だ。自分の考えを誰かに「語る」こととは、決定的な違いがあるように私は感じている。 「語る」ことは、他者を鏡のように、あるいは壁のように使って、自己を縁取っていく行為で、つまり自分を再認識したり、再定義していく…