私生活

プライベイトなタイムカプセル。

日常がドラマチックになる営業体験

大学を卒業して入社したばかりの私は研修真っ最中である。
自分の職種は管理部門系で決定しているにも関わらず、最初の約3ヶ月は営業研修をすることになっている。

営業なんて、コミュ力があまりない自分に向いていないし、なんだかつらそうなイメージもあり、私は営業に対してかなり負の感情を抱いていた。
しかし、研修を少し経て、営業に対しての見方がかなり変わった。


私は、内向的で受け身な人間で、積極的に自分から友達を作りに行くタイプでもない。
雑談も正直ちょっと苦手で、人見知り。
そんな自分が、見知らぬ他人に突然話しかけ、良い関係性を築き、商品に興味を持ってもらうなんて、とんでもないハードルである。
自分の人生とは正反対だ。

でも、だからこそ新たな発見ばかりであった。


まず、気付いたのは、コミュニケーションには動機と目的が必要であるということ。

自分のコミュニケーション能力が欠如しているのは、コミュニケーションの動機も目的も大して持っていなかったからである。
「この人のことをもっと知りたい。」「自分を知って欲しい。」「この人と仲良くなりたい。」
そんな好奇心や欲求が生来薄いために、コミュニケーションの動機付けができなかった。
動機がないゆえに、コミュニケーションを取ろうと試行錯誤する機会もないまま、そして成功体験も大して積み重ねないまま大人になってしまい、今の有り様になった、ということだ。

しかし、営業では確固たる目的がある。
大義名分としては、会社に貢献すること。しかし本質的には、結果を残したいだとか、評価されたいだとか、そんな自己承認欲求がダイレクトに働いてくる。
他人への関心はなんとなく薄いが、数字で評価されることが嬉しい自分は、コミュニケーションの大きな動機を得ることとなった。

目的を達成するためには、人に働きかけなければいけない。
そんな義務感が自分を突き動かす。

自分から他人とコミュニケーションを取らざるを得ない状況になった自分は、まるで実験のように、色んな話し方を試し、一喜一憂しながらも少しずつ発見を積み重ねていく。
そしてそこからなんとなく自分の成功パターンを見つけ始めるのである。

こんなことはコミュ力のある人間だったら息を吸うように出来ていたことかもしれないが、自分にとっては初めての体験だった。




そして次に気付いたのは、自分から他人と関わろうとすることで、日常がドラマチックになるということ。

受け身な人生を歩んできた自分は、他人から働きかけられても特段感想を抱くことが少なかった。
しかし、能動的に他人と関わると、他人の言動一つ一つが自分にとってすごく意味を持ったものになる。
必死な思いで他人とコミュニケーションを取ろうとするからこそ、優しい言葉も、厳しい言葉も、重みが倍増するのである。
営業先で思いがけず優しくされただけで、驚きと感動とうきうきが自分の心を支配するのだ。

ブルーな日も、ハッピーな日も、そこには自分の主体性と、それを投げかける生身の他者があってこそなのだと気付いた。


当たり前なことに、実感を伴って気付かされる毎日は、ほんとに貴重である。
コミュ障にとってこそ、強制的に試行錯誤させられる営業は、通るべき道なのかもしれない。


「すれちがう人の数だけ ドラマチックになるの」
YUKIの歌がいつもよりも心に響いて、なんだか嬉しくなった。

 

ドラマチック

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