私生活

プライベイトなタイムカプセル。

生存権はお金で買う時代へ

 

5日前、軽井沢で起きたスキーバス転落事故が私に与えた衝撃は大きかった。

亡くなった方の中には、私の直接の友人はいなかったけれども、私の仲の良い友人はこの事故によって3人も友人を亡くした。
同じ大学生、同じ学年、コミュニティも似通っており、共通の友人もいる。そんな彼らのニュースを聞くたびに、SNSで目にするたびに、とてもつらい気持ちになった。

自分の中で湧き上がる色々な負の感情を一旦傍に置いて、他の視点からこの事故について語るのは、正直まだ憚られるべきことかもしれないけれども、この事故が私に思い起こさせるものは非常に多い。



既にニュースが幾度も伝えているように、この事故にはバス業界の不健全な構造、業界規制緩和、利益至上主義の追求による大きな闇が潜んでいる。それは日頃日本で生きる消費者としてはあまり想像することのない事情かもしれない。

 

日本では、サービスはお金を払った対価であるという意識すら少ない。

数百円しかお金を使わなかったコンビニでも、従業員はみんな等しく丁寧に接してくれるし、日本で利用するあらゆるサービスは一見とても均質で優良なものだ。

 

しかし、ひとたび海外に出ると、その常識は通用しなくなる。

私は中国とアメリカで生活していたが、そこでは良いサービスとは全てお金によってのみ手に入るものであった。

特に中国は日常がトラップまみれだ。安全なサービス、安全な食品、優良な医者は全て意識して選んで特別な対価を払ってはじめて手に入るものである。

アメリカでも、安全な住環境、周到な医療保険は全て特別な対価によって実現するものだ。

 


Michael Sandel: Why we shouldn't trust markets with our civic life

 

マイケル・サンデル市場経済に市民生活を託すことにこのようにして警鐘を鳴らしている。

 

 

アメリカの大学で社会学を学ぶ中で、アメリカの社会構造が生み出した闇を色んな形で目の当たりにした。

書籍で、映像で、友人の経験談で…

生命すらもお金で買える社会がすぐ身近にあった。人生とはお金そのもののような気すらした。市場経済の原理が働くことの意味をまざまざと見せつけられた1年間だった。

 

日本では、国民皆保険制度もまだ機能しており、一応形式上はまだ福祉国家と呼べるくらいには政府の力は大きい。
しかし、アメリカのような社会に次第に近づいていってるのは確かである。

 

日本はかつて世界で最も成功した社会主義国家だと呼ばれていた。
小泉政権以降、どんどんリベラルな道に突き進んでいるが、人々の意識は依然社会主義的なままである。

日本がこの方向性に進むべきか否かは、ちっぽけな私にはまだまだ到底分からないことだし、この場では議論したくないが、

確実に言えることは、人々の意識だけが置き去りにされていて、社会に潜む大きな歪みにまだまだ気付けていないということだ。

 

これからもきっと社会は変わっていく。
こうやって大きな犠牲を産み出しながら、人の人生をいとも簡単に変えていきながら…
その中で、私たちはきっと考えることを迫られるだろう。
そして私たちの考えも変化していくことを迫られるのである。