「ほったまるびより」 生々しい身体、連続する日常/非日常
先日、国立新美術館の文化庁メディア芸術祭に行ってきたので、そこで感じたことを忘れないようにここに記しておきたい。
ダンサーであり映像作家である監督がつくった「ほったまるびより」という短編映画を目当てに行ったのだが、その映像を目にして衝撃を感じた。
「ほったまる」というのは、「ほうっておくとたまるもの」の略らしい。
それは、私たちの身体の断片、剥がれた皮や、切り落とされた爪、生活に漂う匂いなどなど、様々なものである。
映画に登場する踊り子たちは、そのような「ほうっておくとたまるもの」を求めて暮らし、それらを共有し、楽しんでいる。
彼女たちの姿を見て、まず感じたのは、私たちの日常にあたりまえに存在する他者の身体への希求である。
ひとのからだに触れたい、感じたいという素直な欲望がそこには映し出されている。
それは、身体そのものではなく、身体のメディア(=拡張された身体)にまで及ぶのである。
切り落とされた爪や、抜け落ちた髪の毛を集め、それを所有することで、その人自身への所有欲を満たすということは、とても変態的で、フェティシズムを感じるが、その欲求は私たちの日常と連続的につながっているのである。
そしてこの作品は、私たちの日常に潜む狂気と暴力性をもまざまざと表現している。
相手と融合したい気持ち、身体を所有し支配したいという感情の爆発、抑えきれない身体、声にならない叫び、それらを清々しくも幻想的に表現している。
意表をつくカット、カメラワークが切り取る生々しすぎる身体は私たちが日頃見落としがちなありのままの皮膚感覚と現実を伝えてくれる。
主観と客観が入り混じり、平穏と衝撃が入れ替わる構成に何度も驚かされた。
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