蛇にピアス
今更ながら映画『蛇にピアス』を見た。
色んな解釈ができる映画だと思うけど、私は解釈というような客観的な視点でこの映画を見ることはできなかった。
どちらかというと共感だった。
私は映画の登場人物のような世間の常識から逸脱したような生活を送っていたわけではないけれども、フラッシュバックのようにかつての感情が蘇ってきた。
痛みを感じないと生きている実感が湧かない。
そんな馬鹿のような話は私の現実にもあった。
人間、あまりに痛みを感じると心が麻痺してしまうのだろうか。
もっと痛い刺激がないと、自分の心を誤魔化せない。
だから、辛い時は好きでもない男と寝たりした。
好きでもない他人に心のない自分が道具のように扱われていると、どこかでほっとした。
自分の身体が如何ように支配されても、心は自分に所属している、それをきちんと確認できた。
嫌な感情も全部自分のものだった。
それでなんだか自分が保たれたような気がした。
意味も分からず刺激を求め、浮気をしたり、他人を傷つけたりして、結局私は何がしたかったのだろう。
寂しかったのか、何かに飢えていたのか、辛かったから頭がイカれたのか。
快感だけでなく、罪悪感や嫌悪感を覚えると、無味乾燥な生活から一瞬解き放たれたように感じれたのだろうか。
しかし、刺激を求めれば求めるほど、結局はどんどん屍のように生きている実感も遠のく。
主人公ルイの荒れ果てていく有り様にはリアリティがあった。
なんで人間はあのようになってしまうのだろう。
生きてる実感を取り戻した今でもそれは分からないし、分析しようとしてもよく分からないまま終わってしまう。
『蛇にピアス』を創った人たちはどうしてこんな馬鹿げた私たちの感情を理解したのだろうか。