認知の歪み
人間いつだって自分自身のことを冷静に見つめるのは難しい。
大学初期に作ったTwitter裏アカウントの記録をふと読み返してみたら息が詰まった。
4年分の自分の悲しみが綴られていて、負のエネルギーで胸が押し潰されそうになった。
楽しいことや嬉しいことは当然わざわざ裏アカでは書かないものだ。
そこは人目につかないようにひっそりと吐き出した自分の弱さや醜さだらけだった。
一方、過去の自分を見つめなおすと「あーなんだかこの頃おかしかったんだなぁ」と冷静に分かってくる。
メンヘラ度合いが酷い時はやっぱり認知の歪みなるものが働いていて、明らかにおかしい思考パターンをしている。
「他人が自分に伝える好意は信用できない。」
「自分は周りから見捨てられる存在だ。」
「誰にも頼ってはいけない。不安なのは自分が自立していないせいだ。」
「嫌なことがあっても他人の欠点をありのまま受け入れられない自分が悪い。」
「他者から抑圧されているため自分の感情を表現する自由がない。」
「罪悪感を抱くことでしかその人への愛を認識できない。」
「自分の暗い思考を見せた途端きっと周りの人が離れていくだろう。」
今になると、なぜあの頃ここまで極端な考えに陥っていたのかよく分からない。
しかし、そもそも今の自分さえまともであるとも言い切れないのが怖いところだ。
もちろん今の自分は、上記のような考えをほとんど持ってはいないが、
あの頃自分が吐露した抑えきれない叫びの根っこの部分は、成長によって消えることなく、これからもどこか自分の心の中で生き続けていくんじゃないか、 そんな気がしている。
ストレスフルになるとそれが出現して、健全な心身を保つとそれが消えて、そんなことを繰り返していくのではないだろうか。
健全さと病はいつも紙一重なのではなかろうか、
ちょうど風邪を引いている私は思うのだった。