私生活

プライベイトなタイムカプセル。

規範意識と自傷願望

先日卒論の話を少ししたが、私が社会学をやっていて、トピックにしがちだったのは「規範意識」についてだった。
それはおそらく自分の経験からくる興味だったのだと思う。

 

私は、自分がいわゆる社会規範から外れた人間だと、小学校の頃から思っていた。


自分のマイペースすぎる性格、人種問題(クウォーター)、また極度のコミュ障(授業中に朗読ができないレベル)などのため、なんだか学校では先生や友達にしょっちゅう咎められるし、でもなんで自分が怒られなきゃいけないのかもよく分からなかった。
学校のルールにも、友達が言ってる「普通」にも疑問を抱いていて、心の中でいつも文句を言っていた。
でもそれと同時に、自分への自信を失っていた。
がんばって強がっても、私は結局他人から認められない人間なんだ、って心のどこかでずっと思っていた。
規範意識を嫌っていた自分は、そこから逸脱したいと思っていたし、逸脱した自分を誰かに受け入れて欲しいと思っていた。
でもそんなことばかり考えていた自分は、余計に規範意識にがんじがらめにされていた。

その後、私は小学生にして中国に渡り、約2年半もの間、現地校に通うことになった。
そこでも、日本人という理由で、好奇な目で見られ、訳もなく罵倒されたりした。
でも意外にも日本にいる時よりは平気になっていた。
鈍感力を身に付けたのもあるが、それはおそらく、咎められる理由が「人種」だけだったから。
日本に居た時は、一挙一動、何気ない言葉、そんなものを全て監視されて咎められている気分だったからだと思う。

日本に戻ってからは、両親の離婚、中国帰りで常識知らず、などの理由から余計に「普通」から逸脱している意識が自分を襲った。
なんとか人並みにならなきゃと思っていた自分は、自分の経歴を極力隠し、心の痛みを隠し、そして背伸びして強がって、がんばって身の周りの人間の言葉に興味のないふりをした。
インチキな自己肯定もたくさんした。
自分をも騙し始め、訳の分からない状態である。

そんなことしながらも、いい子ちゃんで居たかった(あるいは、いい子ちゃんで居なきゃいけないと思った)ために、自分像が分裂したり、漠然とした恐怖や不安に襲われたりして、心と頭が乖離していた。

心が悲鳴をあげているのを頭で無理矢理押さえつけた。

その頃から、なんだか悪いことに憧れ始めた。
タバコも吸いたかったし、溺れるほどお酒も飲みたかった。リストカットやどうでもいい人とのセックスもしてみたかった。
なぜか分からないけれども、そんなことを夜中に衝動的にしたくなった。
中途半端にもがいている自分を嫌悪して、堕ちるとこまで堕ちてみたかったし、同じくらい他人を傷つけてもみたかった。
結局全部押さえつけて、ひとつもしなかったところが、また自分らしいのだが。

なんだかんだ上手くごまかしながらも、高校時代は良い人たちに恵まれて楽しく過ごすが、こうやって心の奥底に眠った規範意識自傷願望を捨てきれないまま、表面上はインチキな自己肯定をしながら、私は大学へと入学した。

そこで出会ったのが社会学という存在だった。
社会規範というものがもたらす暴力、そして規範自体が相対的だということを自分の人生をもって体感していたから、なんだか引き寄せられるように勉強に夢中になった。
大学での勉強が、今まで過ごしてきた教育機関の中で、飛び抜けて一番楽しかった。

結局、卒業論文では、自分が苦しめられてきたジェンダー概念、家族概念、自分が見失った父親概念などを題材にした。
でも、そんなことをしても自分を救えるわけでもない。

単純に興味があったから研究をしたまでだ。

 

でも今、私は以前に比べて、健やかになってきたのではないか、と感じている。

そうなったのも、大学に入ってから、自分の殻を抜けだして、色んな人を愛し、また愛され、騙し、騙され、傷つけ、傷つけられ、そして誰かを少し救いながら、自分も少し救われたからであった。

色んなトライアンドエラーを繰り返していたら、なんだか自分のことやこの世の条理が少し見えてきたのである。

学問は楽しくて為になるけど、人との出会いやぶつかり合いはもっと為になるものだった。

最後に笑うのは自分だと、そう信じて生きていきたい。